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第5話 知らない名前

Author: 八月 猫
last update publish date: 2026-06-04 11:00:11

 私はスマホの画面を見つめたまま固まっていた。

『今日はありがとうございました!またみんなで飲みたいです!』

 送信者は、『秋山 美咲』。

 知らない名前だった。

 でも、悠斗のスマホに届いた通知ではない。

 私のスマホだ。

 私はゆっくり画面を開く。

 どうやらメッセージアプリの「知り合いかも」の通知らしい。

 共通の知り合いがいる場合に表示される、あれ。

 プロフィール写真には若い女の子が映っていた。

 明るい茶色の髪。

 大きな目。

 ふわっとした笑顔。

 二十代半ばくらいだろうか。

 私は何となくその名前を頭の中で繰り返す。

 秋山、美咲。

 ……もしかして。

 昼間、悠斗が言っていた後輩?

 そう考えた瞬間、自分でも嫌になるくらい胸がざわついた。

 別におかしくない。

 会社の後輩なんていくらでもいるし、共通の知り合いとして表示されることだってある。

 ただそれだけ。

 私はスマホを伏せる。

「考えすぎ……」

 小さく呟く。

 でも、一度気になってしまうと駄目だった。

 どんな子なんだろう。

 悠斗と仲いいのかな。

 可愛い子だな。

 若い。

 胸の奥がじわじわ苦しくなる。

 なんでこんなことで。

 自分でも呆れる。

 私は立ち上がり、冷蔵庫を開けた。

 何か飲もうと思ったのに、何を取りに来たのか分からなくなる。

 その時、玄関のドアが開いた。

「ただいまー」

 悠斗だった。

 私は慌てて冷蔵庫を閉める。

「おかえり」

「腹減った」

 ネクタイを緩めながら、悠斗は当然みたいに言った。

 私は反射的に答える。

「何か作る?」

「あー、軽くでいい」

「わかった」

 キッチンへ向かいながら、ふと気づく。

 さっきまでの疲れが、もうどこかへ行っていた。

 悠斗が帰ってきた瞬間、私はまたいつもの私に戻っている。

 冷蔵ご飯を温める。

 味噌汁を火にかける。

 残っていた唐揚げを皿に移す。

「お、唐揚げ」

 悠斗が少し嬉しそうに言った。

「食べる?」

「食う」

 私は思わず笑ってしまう。

「昨日いらないって言ったのに」

「今日めっちゃ腹減ってる」

 そう言いながら、悠斗は当然みたいに席へ座る。

 私はその姿を見て、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 ……単純だな、私。

「いただきます」

「はい、どうぞ」

 悠斗は唐揚げを一口食べると、「うま」と呟いた。

 それだけで嬉しかった。

 昨日あんなに落ち込んでいたのに。

 食べてもらえるだけで全部どうでもよくなる。

 私は向かい側に座りながら、ぼんやりそんなことを考える。

「今日、後輩来なかったんだね」

「あー」

 悠斗はスマホを見ながら頷く。

「なんか急に別件入ったっぽい」

「そうなんだ」

「また今度になるかも」

 私は何気ない顔で頷く。

 でも少し迷ってから、なるべく自然に聞いた。

「どんな子?」

「ん?」

「後輩さん」

「あー、普通」

「普通って」

 私が笑うと、悠斗も少し笑った。

「まあ、最近の子って感じ」

「へえ」

「仕事はできるよ」

 その言葉に、なぜか少しだけ胸がざわつく。

 私は箸を持つ手を止めないようにしながら聞く。

「女の子?」

「そう」

 あっさりした返事。

 隠す様子もない。

 だからこそ、余計に何も言えなくなる。

「真琴?」

「え?」

「食わないの?」

「あ、ごめん」

 私は慌てて味噌汁を飲む。

 熱かった。

「なんか今日ぼーっとしてんな」

「そうかな」

「仕事疲れ?」

「……かも」

 本当は違う。

 でも、自分でも説明できなかった。

 ただ『女の後輩』って聞いただけなのに。

 なんでこんなに落ち着かないんだろう。

 その時、悠斗のスマホが震えた。

 悠斗は画面を見る。

 そして、少しだけ笑った。

 本当に少し。

 でも私は、その表情を見逃さなかった。

「誰?」

 気づけば、口から出ていた。

 悠斗は一瞬だけ目を瞬かせる。

「会社のグループ」

「あ、そっか」

 私はすぐ笑う。

「変なこと聞いてごめん」

「別にいいけど」

 悠斗はそう言いながら、スマホをテーブルに伏せた。

 その仕草が、妙に引っかかる。

 私は唐揚げを口に運ぶ。

 冷めていた。

 レンジで温めたはずなのに、なぜか味がしなかった。

 食卓の上には、いつも通りの時間が流れている。

 なのに胸の奥だけが、静かにざわついていた。

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